デザインReading Clubを始めた理由

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「英語って勉強した方がいい?」

他のデザイナーさん達からこの質問をされたとき、以前まで私の答えは

「日々の生活で使わないなら別にやらなくてもいいのでは?」

でした。やりたい事がないと言語学習はつまらないし、身につかない。言葉は手段であって、目的ではないからです。ですが、最近は少し考えが変わっています。英語の勉強はしなくてもいいと思います。でも英語への抵抗感を減らす事ができればもっとデザインの世界が広がるのでは?と思うのです。

インターネットが進めた情報の民主化により、様々な情報リソースに簡単にアクセスできるようになりました。ですが、インターネット上で使用されている言語は60%が英語なのに対して日本語は2%程度だそうです。英語のコンテンツを諦めるということはネットの60%の可能性を諦めることでもあります。

デザインの世界でもこれは同じです。特にデジタルプロダクト開発の業界は情報が更新されるスピードが速く、その多くは最先端を走るシリコンバレーなどテック界隈が情報発信する英語圏内で起こっています。最新の情報が議論されるデジタルプロダクト・デザイン系のカンファレンスも、英語で開催されるものが圧倒的に多いです。パンデミックによりこれら多くのイベントがオンライン開催になり、(時差の問題はあるものの)参加しようと思えば日本からも参加できます。最先端の情報をリアルタイムに得られるチャンスです。同様に、オンライン学習のトレンドも進み、質のいい学習コンテンツに地球上のどこからでもアクセスできるようになりました。ですが、日本語でフィルターをかけてしまうと、ヒットする情報の数もかなり減ってしまいます。

また情報の民主化ということは、情報の発信元も増えているということです。いわゆる「権威」と言われるようなアカデミアからだけではなく、日々現場でデザインを実践している人たちがその経験・学びをシェアし、そこから議論が生まれ、次の進歩につながるというサイクルが、今までにないスピードで起こっています。多様な視点をもった人たちが多彩な考察を持ち寄ることで、革新的なものは生まれます。情報のシェア、議論、実践は、テック界隈のイノベーションの原動力です。もちろんそれは日本語でも起こっている事ですが、英語での情報にもアクセスできれば、さらに広い視点や議論に出会えることになります。

抵抗感を減らすってどういうこと?

例えば、ある程度のボリュームがある英語の文章を見たとき、どんな感じがしますか?宿題に向かう気分?完全には理解できなくてモヤモヤする?サクッと読めないから今は時間がない?そもそも脳内でフィルターアウトしてる?

私も長年仕事で英語を使っていますが、それでも日本語の方が読むのは断然速いです。自分の語彙力では理解できない記事にもよく遭遇します。どうしても日本語よりも負荷がかかる。日本語の文章を目の前にした時と比べて、小さな「抵抗感」を感じます。これは英語が第二外国語である限り消えないのだと思っていますが、少なくともそれを意識しない事はできます。「ま〜しょうがないよね」と諦めて気にしないようにしている感じです。

抵抗感を「減らす」という表現は、少し違うのかもしれません。抵抗感に支配されない。そのためには「その言語を勉強してマスターしようと頑張らない」事を心がけています。最初に書いた通り、結局のところ言語はコミュニケーションツールです。文法をマスターしたり、完璧に聞き取れるようにならなくても、相手の言いたい事がわかればいい。自分の言いたい事が伝わればいい。相変わらずaとtheは正しく使いこなせないけど、まぁいいや*。最近ではDeepLのような精度の高い翻訳ツールもあり、使えるものはなんでも使って、60%の知的リソースにアクセスできればいいのではないでしょうか。

*どうでもいいという訳ではなく、もちろん文法もボキャブラリーもできたらできたで役に立つ事は申し添えておきます。

定期的に英語の記事に触れる

それでも「抵抗感」を小さくするには、筋トレのようにある程度日頃からその言語に慣れている事も必要です。デザインReading clubを始めたのは、みんなで小さな「英語筋トレ」ができたらいいなと思ったからでした。ここでは英語ができるかどうか自体はあまり問題ではありません。みんなでお題の記事を読みながら、思う事をおしゃべりしている会です。逆にまた、英語ネイティブの方達も、日本語でのデザインディスカッションに触れる機会になると嬉しいです。

翻訳ツールを使ってもいいですし、ちょっとデザインの面白そうな記事を読んでみて慣れる事が目的です。「抵抗感」が少なくなってきたら、そのうち気になった段落だけ読もうとしてみてもいいかも知れない。会で取り上げられた記事以外にも、自分でもタイトルだけざっと眺めて、面白そうな記事をクリップしてみたり、デザインを話す時に出てくるキーワードだけ覚えてみたり、そんな風な変化が出てきてくれたら嬉しいです。

今のところ会場はClubhouseです。色々考えるところがあってこのプラットフォームにしているのですが、それはまた次の記事で。もし興味があればぜひ参加してみてください。


日本でもNotionが流行ってきているらしいですね!Notionいいですよねぇ。私は数年前に同僚に教えてもらって使い始めました。当時はチームのWikiとして使おうとしていたのですが、オーバーエンジニアリングだったのか結局みんなあまり使わなくてフェードアウト。でも個人ではとても気に入ってしまって、プライベートのアカウントで使い続けています。

Life Wiki、と呼ぶのかどうかはわかりませんが、とにかく何でもかんでも情報を放り込んでいるので、今日はどんな風に使っているのかをシェアしたいと思います。

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まず、構成はこんな感じ。


Clubhouseを使ってみて思った事第2段。

前回第一印象でFOMOやDrop-in、雑談の話をしましたが、その後英語圏のRoomなど色々入ってみて少しまた印象が変わりました。ちなみにどんな部屋に入ってみたかというと、

・AIの未来
・脳波を使ったUIの技術はどこまで進んでいるか
・東京のVCと日本のスタートアップの状況について
・量子コンピューターの今
・アートとデザインは何が違うのか?
・Minimum Lovable Product 対 Minimum Viable Product

など。若干ネタが偏っているのは恐らく登録した時に選んだ私のinterestのせいかと思いますが、まぁそれはさておき。

量子コンピューターの話なんか家事しながら英語で聞いてもサッパリわかりませんでしたが、とりあえずどの部屋でも共通しているなと思った点:

・モデレーターがきちんとしている。話を進めるだけでなく、コミュニティのガイドラインを守らせる役割までしている。
・入った途端に「手あげる?」と通知が来たりと、積極的にオーディエンスにも発言を求めている。
・スピーカーもオーディエンスも性別、人種、国籍などアイコンをみる限り多様。

部屋によって多少噛み合ってる、噛み合ってない感じがあるものの、どこも活発な議論が行われていました。そこで何となく思ったのは

これ音声版Twitterではなく、どちらかというとMediumなのでは?

知識のシェアという行為の民主化

かつて知識や教育は特権階級だけのものでした。大学や教会は一般人にはわからない言葉を使い、入る事ができる人間を制限し、知識を独占していました。今はその頃に比べれば幅広い層の人々に学ぶ場が開放されているものの、過去の名残はあります。権威主義は社会の至る所に残っていますし、役職が上の人の発言しか採用されなかったり、就職するにも学歴主義、受験競争だったり、そもそも生まれ持った属性(人種、性別など)によって教育・知識へのアクセスの難しさが決まってしまうという現実もあります。

ですがインターネットの時代になり、情報はどんどん民主化されてきていますMediumはプロのジャーナリストや、そうでない人たちが混ざって記事を公開するソーシャルジャーナリズムの代表のようなプラットフォームですが、デザイナーにとってもただのブログ公開の以上の意味がありました。特にUIデザインのように形として自分の仕事を見せにくいインタラクションデザイナー、情報デザイナー達は、Mediumにアカウントを作り、自分の価値観、考え方、アプローチなど、自分のキャリア形成のためのツールの一つとして情報発信を始めました。

大事なのは、そこにタイトルやキャリアの上下はなかったという事です。新人でもいい、どこの大学出身でもいい、自分の考えをシェアし、時には反論し、ディスカッションする。「誰が言っているか」ではなく、「どんなメッセージが発せられているのか」にみんなの目が行くようになりました。近年のデジタルデザイン業界の流れはそういったオンライン上のディスカッションで国境も関係なく進んできている気がします。もちろんDon NormanAlan Cooperのような「権威」もいますし、尊敬されていますが、彼らも含めて常に議論が起こっている状況です。(Alan CooperのTwitterでのキレ芸?とデザイナーたちの応酬はなかなかの見ものです。)

ちなみに、欧米社会で人種差別の問題が大きく注目されていることもあり、デザイン業界では”democratizing design (デザインの民主化)”や”decolonizing design (デザインの被植民地化)”は数年前からのホットトピックです。興味がある方はKawachiさんのこんな素晴らしい記事もあるので覗いてみてください。

Clubhouseも民主化を目指している?

さてClubhouseに話を戻します。私のようなサッカーファンは「クラブハウス」と聞くとサッカークラブの拠点を思い浮かべてしまうのですが、もう少し大きな意味では会員制クラブのようなコミュニティの拠点の事です。古くはイギリス、大英帝国時代に階級の高い男性だけが入れた特権階級文化の権化のような社交クラブ。実は最近そういった会員制クラブの現代版があります。ロンドン発祥、クリエイティブな人々のための会員制クラブ”Soho house”などがその例です。伝統の会員制クラブ*ほどは*入会金も高くなく、スーツお断りなど、誰にでも親しみやすい雰囲気を備えつつ、「クリエイティブ」という共通の価値観を持った人たちが集まってくる場所です。私も友人に会いに何度かブランチであるShoreditch houseに入った事がありますが、カジュアルな格好で入れるし、オッサレーな居心地のいいカフェ、という印象でした。(そのかわりダサい格好と思われてないかな、というプレッシャーはすごくある。)

(そっか、あまりググっても写真出てこないなぁ〜と思ったら確か写真撮影禁止だったっけ…?)

ここからはClubhouseのポリシーなどを読んだ上での憶測でしかありませんが。Clubhouseが上記のような「良質の会話ができる場所」をデジタル民主化させようとしているのだとしたら、興味深いと思うのです。Roomのデザインを見ると、使われているメタファーはどちらかというとパネルディスカッションのようなものですが、それも「質の高いディスカッション」という点に変わりはありません。カンファレンスというのも貧富の差でバリアがあったり、登壇者を今までの支配構造を継承した人たちが独占しがちという面もあります。その点Clubhouseは地理的な障壁も社会的な構造も破りやすい。Mediumがそうだったように、「誰が話しているか」ではなく「何が話されているか」に大きくスポットライトが当たる音声コミュニティ体験なのかもしれません。

日本での広がり方

そう考えると、日本のように「Twitterの音声版」として既存のパワー構造の上の方にいる人たちがそのままスライドシフトしてくるのは、若干もったいない気もしています。もちろん普段見られないコラボが見られるとか、有名人との距離が近くとかそういった面も面白いかも知れませんが、それだと既存メディアとあまり構造が変わらない気がするのです。

とはいえ、日本語圏でもみんな慣れてきて、興味深い話をしている部屋も多くあるので、今後が楽しみではあります。数週間前の熱狂も少し落ち着いてきたようだし。

民主化か、クローズドか

ところで、もしClubhouseが知識や議論の民主化を目指しているのだとしたら、招待制だったり、iOSのみだったりで不公平感を作ってしまっているのは皮肉なことでもあります。また前回書いた通り、FOMOを煽るような体験はやっぱり好きになれません。

招待制が、会話の質を担保する狙いなのか、プレミア感を出しユーザーを取り込む作戦なのかはわかりません。ですが、アプリの簡素な機能群や、人数が増えると落ちまくるサーバーのキャパシティを見ると、おそらくMVPで出しているんだろうと思うので、もう少し長い目で見て続けたいかどうか判断したいなと思っています。ソフトウェアは進化し続けるものですので、現状だけで判断するのは少しもったいない。作り手の考え方を理解するために、本当はファウンダーの話直接聞きたいんだけどな〜時差の問題なのか、Room開いているところに遭遇できないです。

(2021年2月21日追記) ようやくファウンダーの1人であるPaul Davisonが話しているところを聞けました。やはりキーワードはdiversityとmeaningful conversationsのようです。Android版も開発中とのこと。テンション高かった。

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長くなってしまいましたが、まぁ民主化だの堅い事書いたものの、毎日徳の高い話を聞き続けるのも疲れてしまうので、前回書いたように雑談楽し〜みたいな体験だけでもいいような気もする。私が以前体験したように、気の合う友人と、美味しいコーヒーを飲みながらデジタルデザインのあり方からこの間見たスターウォーズの感想まで、気が向いた事を話せばいいのですね、きっと。それにしても久しぶりに考えを深めてくれるプラットフォームが出てきたなあ。これについてClubhouseでお話したい人、いません?


自分の第一印象は信用しないようにしようと思う。

日本で話題になっているClubhouseですが、使ってみたのでメモします。先に「む〜?」と思った事を書きますが、面白いなと感じている事も書きます。ちなみに私は内向的(Introvert)人間で、電話とか、知らない人とのスモールトークが苦手です。Clubhouseの第一印象は「無理無理無理無理無理」でした。(でもデザイナーとしての好奇心が勝った。)

む〜?😒と思う事:

FOMOを煽る体験。これは日本での変な盛り上がり方のせいかな、とも思うけど、招待制である事も含めてFOMO(Fear of missing out)を煽る事でユーザーを集めている印象。数年前からFOMOのメンタルヘルスへのインパクトの話は多数あるので、新しいプラットフォームがそのど真ん中をいく体験設計なのはエシカル的に残念。もちろんそこだけを狙っている訳じゃないとは思うんだけど、デザインする時に違う選択もできるはず。でもしていない。

アテンションエコノミー。通知が多い(らしい、私は切ってしまった)。もちろん他のSNSもそうだけど、ユーザーのエンゲージメントを獲得するためにとにかく意識を向けさせる仕様なのはどうなのかな〜。AppleのScreentimeとかその問題に取り組む流れになってると思ってたのだけれど。(ちなみに我が家のattention seeking競争で一番強いのは飼い猫の”meow” 😺。)

モチベーション。逆に通知を切ってしまったり、フォロー数が少ないと、開くタイミングがあまりない。自分の都合のいいタイミングで開いても面白そうなRoomとのタイミングに合ってなかったりしてすぐ閉じちゃう。まぁだからそこでFOMO登場なのだろうけど。

面白いなと思う点:

正にDrop-in体験。インストールしてすぐは「いや〜introvertには怖すぎてRoom入れないでしょ」と思っていたんだけど、入ってみるとモデレーターなどの役割がしっかりあって、”drop-in/out”という行為が気軽にできる設計になっているので、意外と気兼ねなく入れる。こっそり入ってこっそり出る。イベント系のRoomは家事でもしながら聞くのもいいかなと思うけど、去年からAudible聴くのがお気に入りになっているので、そことのエンゲージメント勝負。ファイッ。

雑談が戻ってきた。電話番号で招待、という所から本当はこれが一番の狙いなのでは?と思うのだけれど、近しい人とまったり話すのは自粛で会えなくなった事もあってとても楽しい。でもここまでは単なる「友達と電話」で、そこからRoomを公開にして他の人もdrop-inできる、というのが新しい体験かなと思う。なるべく小さくても意味のある会話、本当に楽しめる会話をして、そこからじわ〜っと人の輪が増えていく感じなのであればとても面白そう。繋がりの数ではなくて、質を重視したい…というのは私がLinkedInで流れてくる投稿を楽しめている理由でもあると思う。

たくさん流れてくる分析記事もいくつか読んでみましたが、みなさん大体似たような事を感じているのですね。ちなみに私はClubhouseに限らず、日本のデザイン業界の「working hour外のFOMO煽り」はちょっと問題じゃないかな〜と思ってるのですが、それはまた別の機会で。

急いで繋がりを増やすのではなくて、本当に話したい人とまったり話したいと思っているので、興味がある人は声かけてください👋 今興味あること:日本で奮闘している女性デザイナーさんたちと繋がりたい、日本語・英語まぜこぜで話したい、デジタルでどんな楽しい世界が作れそうか話したい、などなど。


ustwoではコロナ禍で全社フルリモートになって以来、毎朝デザイナー全員でチェックインをやっています。そんな中、ホリデーシーズンに何人かがロンドン以外の場所からアクセスしてきていることがありました。その時はまぁ確かにどこにいたって仕事できるしなぁなんて思いながら、自分自身はそんな気分になれず夏休みすら取らなかったのだけれど、日本のうだるような暑さが去ったとたんにどこかに行きたくなって、私もワーケーション的なものをしてみることにしました。県内でしたが、週末家族との観光も兼ねて1週間ほど。思った事を、メモをしておきたいと思います。

仕事はできる。

まず最初に、時差の問題さえ無ければ、仕事をするのにどこにいるかはもう本当に関係ないな、と。ワークショップですらオンラインで問題なくできてしまうので、家にいる時とほぼ変わらなかったです。行く前はWiFiのスピードを心配していたのですが、VPNでもなんのその(むしろ実家のWifiより安定していたほど)。ただし、行っている間は「週のこの日だけオフィスで」みたいな気軽さはないので、タイミングを見計らう必要はありでした。

日常に非日常を挟むことの価値。

一番良かったポイントは、仕事の合間に少しずつ非日常を差し込んでリフレッシュできること。これがマインドフルネスっぽい役割を果たしてくれて実に良かったです。家だと「3分だけ瞑想」などで少し考えを休めたりするのですが、長めのミーティングの後にふっと外を見ると湖畔と青い空だったりすると思考のスイッチオフが気軽に、かつ強力にできて頭をスッキリさせられる。ずっと部屋にいる事を見込んで、眺めのいい部屋を探した甲斐がありました。ランチタイムも湖眺めながら散歩したり。まぁ本当は自宅も川の側にあるので、そういうのできるはずなんですけどね。どうしてできないのかな。観光地マジック。

いい天気だった

周りの目はちょっと気になる。

今回、計画を立てていた時に「ワーケーション支援プラン」などを設定していた宿もみかけました。ですが基本家族連れや年配のご夫婦が多いので、やっぱり目立つ。平日に入った2日目から数人それっぽい人をみかけましたが、もちろん少数派。ホテルの方に「お掃除どうされますか?」と聞かれた時に、「基本部屋で仕事してるんですけど…」と答えたら若干困惑した表情をされたりと、マイノリティ感をたっぷり楽しめます。(ちなみに困惑顔されたのは最初だけで、すぐに快く対応してくださいました。とても感じのいいスタッフさん達でした。)もしかすると慣れない事をして落ち着かない自分の心が投影されていただけかも知れませんが。

でも実際、これからワーケーションみたいな人が増えたらホテル側としてはどうなんだろう。シーズン以外で空いている時期なら歓迎なのかな。ちょっと業界の声も聞いてみたいところ。

新しい場所だと観光したくなる。

週末と合わせて計画を立てたので、観光の時間は別に取ったのですが、それでも気になった場所は色々見て周りたくなります。今回は初めてではない場所だし、自然が多いところで周りに何もないのでうまく切り替えられましたが、アトラクション的なものが多いところは心を強く持つ必要があるかもと思いました。つまり、これがヨーロッパの初めて行く街で1週間だけのワーケーションとかだと、例えロンドン在住で数時間のフライトの距離だったとしても「もったいない!」感の方が強そう。結局休みたい時は気持ちもきちんと休んだ方がいいのだ。

「サッとランチ」が難しい

1週間毎日豪華なホテルランチ・ディナー、は太りそうだしあれなんで、ある程度適当に済ますつもりでいました。…が、何もない!!!Google Mapで調べた時も確かに何もなかったけど、夜こんなに真っ暗で動き回るのも大変だったのは想定外。まだエリアに慣れていない1日目は危うく夕飯抜きになるところでした。また、観光地だとランチどきは並んでいることもあり、事前にGoogle Mapでチェックしていた所はほぼ全滅。ミーティングが詰まっている時は時間無くなってかなり焦ったので、色々プランは考えとく必要があるかも。冒頭に書いた「ワーケーションプラン」の宿は朝食すら付いてなかったけど、そういう場合どうするのかなぁ。

3日目を過ぎたあたりから若干体が痛い

環境が変わる事による身体へのストレスは当然ながらジワジワきました。普段より気にしなくてはいけない事が多いし、私は内向的な人間なので初めての場所や、知らない人と話すのはかなりエネルギーを消耗します。そのため1日が終わるとドッと疲れが出る状態でした(→温泉で回復)。もちろん椅子とかは長時間座る用途に作られていないし、枕変わって首が痛いとかも意外とストレスになるものです。精神的には最高でしたが、非日常な環境でしっかりとフォーカスして仕事をするにはむしろ必要なのは体力だなと実感しました。ジムついてるところとか、走ったりちょっとしたエクササイズができる環境ならいいのかも。

まとめ

そんなこんなで予定通りにいかない事も多々あり、チームの寛容さをひしひしと感じた1週間ではありました。身体的な疲労感もかなりあり。ですが、ふと思い立ってやってみただけの割にはかなり幸せな体験ができました。作業もいつもより集中できた。宿の方達のお気遣いもありかなり満足感があったので、満足すぎて逆に今は「もうしばらくいいかな〜」という気分です。でもまたやるかも。

おまけ:GoToキャンペーンについて

今回GoToを使って行きました。出発前は若干コロナの事も気になっていたのですが、宿やお店の方々はしっかり対策をされていて、安心して滞在する事ができました。旅行業界は自粛期間かなりダメージを受けたと聞いていたので、リスクもある中みなさんビジネスを続けていらっしゃるんだなぁと思いました。運用方法や使い勝手など、色々改善すべき点はあるのかと思いますが、また冬に感染が広がりそうな事を考えるとGoToキャンペーンはファインプレーだったのではないかなと思いました。観光業の方々、頑張ってほしいです。


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今、Caroline Criado Perez著のInvisible Womenという本を読んでいます。まだ読み終わっていないにも関わらず面白いので色んな人に勧めてしまっているのですが、この本を読みながら、また日本の状況を見て思った事があるので、女性として、デザイナーとして、自分の考えの整理も兼ねて、書いて見ることにしました。

大まかに分けると2つ。それは

男女平等って言葉、雑すぎない?

デザインが貢献できる事たくさんあるのでは?

ということ。

ニーズに対応できていないデザインが不平等を生む

「男女」という言葉を聞いてまず思い浮かべるのはセクシャリティの意味の方が強いのではないかと思います。セクシャリティの定義は

ある個人(individual)が女性、男性、あるいはそのどちらにも属さない性(インターセックス)であるかを規定する生物学的な特徴の総称です。(UN Womenのサイトより)

生物学的な話なので「違いがある」=区別になります。女性に生理があり、妊娠して、子供を産むという点で男性と違う事は否定できません。なので、「男女平等」という言葉に対して一部の人は、「違いがあるんだから、同じように扱えなんて無理でしょ」と考えてしまうと思います。

でもここでちょっと考えてみたい。この「平等」は正確には「違いがあっても同じように尊敬されて、同じような機会が与えられるべき」のはず。ところがそもそも現在の社会システムや制度などをデザインしてきたのはほぼ男性で、女性という身体を持って生まれてきた人間の都合はあまり考慮されていません。違いがあるのにデフォルト(男性)に合わせる事が前提となっている。もちろん全てが悪意を持ってなされているとは思いませんが、デザインする側(男性)が単一視点しか持てていないので、使う側(女性)のニーズに気づけない。または気づいていてもバックログの下の方にあって、優先順位が上がってこなかったりするのです。人類の半分のニーズしか汲み取れていない。う〜ん、ロッツオブオポチュニティフォーユーザー中心設計。

Invisible Womenにも様々な例が出ているのですが、この「デザインの根拠となるデータ・知識の中に女性が存在していない」という状態は、トイレや授乳室などの日々使うもののデザインから、税制度のような社会システムまで、この世界のあらゆる所に不平等さを作り出しています。

カタカナで表現されるジェンダー

次に、辞書で引くと「性、性別、ジェンダー」と出てきてしまう英単語gender。恐らく一言で訳せないからカタカナのまま入ってきちゃったやつ。

ジェンダーとは、男性・女性であることに基づき定められた社会的属性や機会、女性と男性、女児と男児の間における関係性、さらに女性間、男性間における相互関係を意味します。こういった社会的属性や機会、関係性は社会的に構築され、社会化される過程(socialization process)において学習されるものです。これらは時代や背景に特有であり、変化しうるものです。(UN Womenのサイトより)

変化しうるもの。

日本では男性は家族を養う役、女性は家庭で世話をする役、というジェンダー規範が根強く、社会もそれを前提に回っています。日本の男性の働き方(長時間労働、休みが取れないなど)は誰かが家にいて子供の世話をしないと成り立ちませんし、「女子力」とか「母性」とか誰かの世話をするのは女性の役割、という感覚は根強いです。「男性はこうあるべき」「女性はこうあるべき」という型があり、その役割をこなすことに最大限の努力を求められます。

日本で生まれ育っていると、「ジェンダー規範は教育されて擦り込まれるもの」という事が認識しづらいように思います。小さい頃からそうやって育てられたから身についただけの習性が、性別の特徴で、変えられないものだと思われています。でもその多くは昔の人がその時の都合で作ったお約束です。それは一度日本を出て外から見てみるとわかるのですが、例えばジェンダー平等の感覚がかなり根付いているスウェーデンなども、初めからそうだった訳ではなく、長い歴史の中で制度を変えながら、少しずつ意識を変え今の社会を作っています。

制度が変わるのではなく、人が縛られている状態

「男女平等」に関する議論がなんか噛み合わないのは、上の2つの視点がごちゃっと混ざって話されるからじゃないかなぁと思っています。

例えば、先日ニュースになった聖マリアンナ医科大学の件などは「医療の現場にとって妊娠・出産で職場を離れる可能性のある女性を採用するのはリスク」という考えが起点です。本当はそもそも医師というキャリアパスが女性にアクセスしやすくなっていない事が問題で、ならば職場環境を改善するにはどうしたらいいのか?という方向に行きたいはず。(これは他国の状況などを見ても、可能なことだと思うのですが。)ところが何故か「女性は医師という職業には向いていない」というジェンダー規範が強まり、まだ人生のプランさえ決めていない女子学生の機会が奪われる事が正当化されてしまいます。

もちろん逆に男性にも不利になっている点があると思います。少し前に小泉大臣の育児休暇の件が話題になりました。これも女性というセクシャリティの差に対応していない職場環境と「子供はやはり母親がいい」というバイアスが組み合わさった結果、「男性は仕事して家族を養う」というジェンダー規範に縛られて、父親たちは自分の子供との絆を作る機会を奪われてしまっています。そもそも男性だろうが女性だろうが、育児休暇で職場を離れるのが「迷惑だ」とされてしまう職場の制度や文化を変えるべきだと思うのですが。

女性に決定的に不利な点

ということで、ヨーロッパのパパたちの様子と比べても、私は日本の男性はもっとジェンダー規範に対して怒っていいと思うのだけれど。とはいえ、それとは別にやはり女性にとって決定的に不利な点があると思います。

  • 女性のニーズが十分考慮されずにデザインされた社会では、性犯罪の被害(痴漢なども含めて)に遭いやすく、健康・安全管理の面でもリスクが高く、女性の行動・選択肢が制限される
  • 昔ながらのジェンダーバイアスに基づいた社会制度では、女性が1人で経済的に自立するのが難しい、できない(その結果男性に所有される、選別されるような立場になってしまう)
  • 状況を変えたくても決定権を持つ立場にいない

暴力や恐喝によって女性の権利が制限されてはならない話なんて当たり前すぎるので、割愛…。しますが、Invisible Womenに載っていたモビリティデザインと女性の行動についてのデータはすごく興味深かったです。ちょっとした社会環境のデザインの変化で、女性はもっと安全に暮らせるのだと思う。

2点目、妊娠・出産を理由にキャリアパスが閉ざされてしまいがちな女性は、きちんと自分と家族を養っていくだけの経済力を付けるのが大変です。またバイアスによって機会が奪われてしまったり、働いていても賃金が男性より少なかったりします。資本主義の世の中では残念ながら経済力が無ければ自分で自分の人生を選ぶのも難しい。先日ハフポストの記事でひろゆき氏が「女性は顔がある程度かわいければ、そこそこまともな結婚ができて一生食いっぱぐれない」と言っていましたが、これは逆に言うと「顔が良いと思われなくて、まともな結婚ができなかったら食っていけない」?それ、生存戦略の選択肢、狭すぎない?しかも相手に依存するからコントロールするの難しくない?もちろんそういう道を選ぶ人の人生は尊重されるべきですが、その形を選ばなかった人もきちんと生きていける世の中の方が良くないですか?

そして極付は、「社会システム」のデザインを変更しようとしても、決定権を持つ立場に女性がいないので、なかなか変化を起こすこともできません。日本のジェンダーギャップ指数が121位なのは、このあたりが原因。(詳しい解説はこの記事がわかりやすいな〜と思いました。)

ユーザー中心設計さん、出番ですよ

さてさて、ここでキリッとデザイナーの帽子をかぶりたいと思います。

ユーザー中心など勉強してきているとよく”Designers are not users”という言葉を聞くと思います。セクシャリティの差を考慮したデザインができていない問題は、いわゆる「ユーザーのことわかったつもり」問題と性質が同じです。デザインしている側ーーこの場合、特に社会制度や経済活動を担っている政治家、行政、経営者、サービス・プロダクト提供者ーーが、自分の知識や経験を元に作ってしまっていて、しかも検証もしていないので、 使いにくい事に気付けていません。(ちなみに日本で生まれ日本から一生出ない日本人デフォルトの制度が多いので、国境をまたいで生きている人にもとても使いにくい。)

なので、ジェンダーギャップもユーザー中心のアプローチを使っていけば解決できる部分が多々あるという事だと思います。しかもデジタルプロダクト分野だけじゃなくて、社会制度のデザインなど、あらゆる面で。Design thinkerのみんな、出番だよ。

当たり前を疑おう

ですが、1つ気をつけるべき点が。それは、ジェンダーバイアスというのが現在の社会や人の中に「当たり前」のものとして溶け込んでいるということです。この当たり前そのものに疑問が持てないと、ユーザー中心でデザインしても「女性が好きなのでやっぱりピンクで」とか「技術的な事を女性でもわかるようにしましょう」のような、バイアスに乗っかった、下手をするとバイアスを強めるデザインになってしまいます。ユーザー中心でやろうとしてペルソナを設定したものの、ペルソナ自体がステレオタイプの塊なケースもよくありますし、バイアスの中で生きている本人が欲しいと言ったものをそのまま鵜呑みにするのは危険です。(そもそもユーザーの言うことは鵜呑みにしちゃダメよ。

もちろんユーザーの好みに合わせたデザインをしたり、今あるペインを解決することには大きな意味があるのですが、目の前のユーザーの利益だけ考えてしまうと、別の観点で思いがけない害をもたらしてしまうかも知れないということです。

ユーザー中心からユーザー&社会中心へ

実は上に書いた事は、ジェンダー問題からさらに進んで、これからもっと注目されていくであろうエシカルデザインを考えるときに大切な要素です。デザイン業界でも、ただ単にユーザー個人のニーズをやみくもに満たすだけはなく、社会への影響なども考慮するべきだ、という声が大きくなってきています。デザイナーも、1人のユーザーのニーズだけではなく、長期的な影響や、コミュニティ、社会への影響を視野にいれていく事が求められています。そのためには自分たちのデザインの前提、思い込みを常に疑う力が必要。そして思い込みに気づくための1つの手段は多様性のあるチームを作ることなのですが…あれ、にわとりたまごになっちゃった。

ジェンダーギャップ121位、日本の状況はまだまだこんな感じです。何だか遠い道だなぁ〜とため息が出てしまいますが、でも、デザイナーとして、できることもあるはず。

フェミニズムという言葉は敬遠されがちだそうですが、ジェンダー平等の本質的なところは男女の否定のし合いではありません。このポストでは触れませんでしたが、ジェンダーではLGBTQなどの視点もあります。いずれにしても根幹にあるのは、違うバックグラウンドや身体、心を持った人たちいかに優しい世界を作れるか、というデザイナーにとっては大変腕が鳴るようなお話なのです。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。ちょっと面白そうと思った方、引き続きお話していきましょう!

Happy International Women’s Day!


2週間ほど経ってしまいましたが、Mashing up vol.3というイベントに参加してきたので、簡単なメモを残しておきたいと思います。

Mashing upというイベントは

女性をはじめとする多様な人々がしなやかに活躍できるような社会を創出する場です。異なる業種、性別、国籍、コミュニティの人々が「マッシュアップ」することで、新しいネットワーク、新しい一歩、新しいビジネスを創出できる化学反応を促進します。

という目的のもと行なっているとのこと。

会場は渋谷のTrunk Hotel。なんだかustwoロンドン本社があるShoreditchエリアを思わせるようなオシャレなバーを通り抜けて、3フロアあるイベントルームで話を聞いてきました。

日本人は男女平等に興味がない?

Factfullness of Gender Equality at Wor …


UXデザインやユーザー中心設計(UCD: User-Centred Design)など、「使う側の体験をしっかりデザインしよう」……という考え方は、日本でもだいぶ浸透してきたように思います。UXという言葉が肩書きにつく人も多くなり、いい体験を提供する製品も増えてきました。ですが言葉が広まったからこそ、色々な解釈が増えて、それに伴う誤解も増えているような気がします。せっかく製品を良くしようとユーザー中心設計の手法を用いているのに、ちょっとした見方の違いで思ったような成果が得られず、いつものやり方に戻ってしまうのは悲しいですよね。この記事では、主に私が見かけた、または質問としてよく聞かれる3つの「よくある誤解」について、考えてみたいと思います。

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1.「ユーザーが全ての答えを知っている」

私がユーザー中心設計を勉強していた頃、一番最初の授業で教授に言われた事があります。

“User-Centred Design” is NOT “User-designed”.

ちょっとした言葉の違いですが、全く意味が違います。前者は「ユーザーを中心に置いたデザイン」。後者は「ユーザーによってデザインされた(なにか)」です。

わかっていても忘れてしまいがちな落とし穴ですが、ユーザーは全ての答えを専門知識として知っているわけではありません。ユーザーは製品を使う人ではありますが、デザイナーというスペシャリストではないからです。デジタルプロダクトをどうデザインすればいいのか、細かい知識やノウハウを持っているのは、私たちデザイナーなのです。(みんな、自分の勉強してきたことに自信を持とう!)

インタビューやユーザーテストなどは、ユーザーを理解するのには欠かせないツールです。ですが、ユーザーは専門家ではないことを考えると、「どっちのデザインがいいか決められないから、ユーザーに聞いてみよう。」→「どっちがいいと思いますか?」みたいなアプローチは危ない、という事です。インタビューではユーザーが口に出して言ったことだけでなく、行動を注意深く観察したり「Think aloud (考えている事を声に出してもらうこと)」などで、「ユーザーがどう考え、その結果どう行動したか」「それは何故なのか」という事を中心に聞き出すべきです。

また、AnalyticsベースのA-Bテストも同様です。二つのデザインを比べて、片方の数字が良かったからといってそれが「いい体験」とは限りません。クリック数が多く見えても、ただ迷ってしまっているだけかも知れない。もしくは、スマホ中毒的に思考停止でタップをしているだけかも知れない。A-Bテストをするのであれば、多数決のような使い方をするのではなく、あらかじめどんな事を理解したいのかチームで決めておく必要があります。そしてデータだけではなく、必ずユーザーに会って「なぜ」を確認する事が大事です。ユーザー中心設計のツールを使っているように見えて、実はビジネスに有利な判断ばかりしているケースは少なくありません。

「なぜ」がわかった時、デザイナーとしての知識があれば自ずと答えは見えてきます。リサーチ後にはチームできちんと時間を取り「ユーザーがAと言ったから」ではなく、結果がデザイン的に何を意味するのか、きちんと考える時間が必要です。

2.「ユーザー中心だと、イノベーションはできない」

ユーザーのいう事だけ聞いていたら、ユーザーが考えられる範囲でしかモノを作れない。イノベーションなんかできない。

イノベーションという言葉は、Appleのスティーブ・ジョブスやSonyの盛田昭夫のような「カリスマの閃きからのパラダイムシフト」というイメージが強いのでしょうか……ユーザーの意見を聞いたところで、未来に向かう革新的なものは作れない、そういった意見をよく聞きます。

まず1にも書いたように、ユーザー中心設計は「ユーザーが言ったとおりに作る事」ではありません。世の中に変化を起こせるソリューションを考えられるのは、深い知識を持つ専門家でしょう。

ですが、過去のカリスマ達の閃きも、物事や人々に対する鋭い観察から始まっているのではないでしょうか。現存する問題を理解し、人が考えもしなかった方法で解決したからこそのイノベーションです。つまり、ユーザー中心設計を使って 1) 人や社会の問題を深く理解しチャンスを見出す、また 2) 自分たちが考えたアイデアが意図通りに機能しているか確認する、という事はイノベーションを起こすという面でもとても有益だと思います。具体的にどう手法を取り入れるのかは、チームに合ったやり方をすればいいだけではないでしょうか。

*イノベーションについての考察はLars Rosengrenの「イノベーションの基盤」シリーズもぜひご一読ください。

3.「ユーザー中心なんて今更。自分たちはちゃんとユーザーのことを考えてきた」

ペルソナだって作ってあるし、ユーザージャーニーマップもある。ユーザー中心設計なんて何も新しいことじゃない……

ユーザーの事を考えてきた、それは素晴らしいです。ですが、もしそれが実際にユーザーに会って発見した事を元に作られたものでないとしたら、残念ながらまだそれは始めの0.7歩、くらいかもしれません。ユーザー中心設計は、「ユーザーの事を考えている」だけでは成立しないのです。

マーケティングで使われるツールですので、ペルソナを持っている組織はよくあります。ですが、よく見てみるとそれは「実際に使っている人」ではなく、「こういう人に買って欲しい」という、作り手の理想を表していて、現実とはかけ離れた実在しないペルソナになってしまっている場合があります。なんとなく社内で持っている顧客へのイメージから、ユーザーの事を理解した気になってしまっていませんか?

もしユーザー中心設計をやるのであれば、全てを差し置いてやらなければならないのは、実際のユーザーに会いにいく、という事です。豪華なミラールームとかじゃなくてもいい。外部の人を招けるスペースがあれば、自分たちでインタビューできます。

重要なのは考えるだけではなく、実際のユーザーに「興味を持つ」事だと思います。どうしてこういう行動を取るんだろう?どういう要素が決め手になって、判断しているんだろう?そういった疑問を解決するためにリサーチする事が「ユーザーを中心に置く」デザインであり、いい体験を作る第一歩です。

ユーザー中心設計に関しては色々な議論があると思います。この記事に書かれていることは私が自分の体験を通して学んできたことですが、また違う見方もあると思います。ぜひ色々な意見をお聞かせください!またコラボレーションに興味を持った方はぜひustwoまでご連絡ください。


Photo by Evie Calder on Unsplash

正直に言います。私は「エコ」とか「エシカル」という言葉に多少複雑な思いを持っています。ビニール袋ではなく、エコバックを使う事にやっきになる事が本当に環境のためになっているのか、こんな小さな事意味ないんじゃないか、ただの自己満足なんじゃないか……。気候変動が深刻なのはわかっているけど、それを理由に他人のライフスタイルを責め立てる人も好きじゃない。

もう一つ正直に言います。天然由来の製品などを探し始めたのは、環境への配慮でもなんでもなく、何でも口に入れてしまう我が家の猫😸のために、安全なものを探したからでした。動物に、人に、環境に優しい製品を探していくうちに、エシカルプロダクトが目につくようになってきた……ので、元々そんなに立派な動機なのではないのだけれど、この記事では使ってみて純粋に良かったと思 …

Mayu Nakamura

Digital product design lead @ustwo. Believes in UCD. Mindfulness padawan. Music, SciFi, Crime fiction addict.

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